わがまま科学者日記

純粋に科学のお話をしたい。。

私の留学記(12)流行を追わない

私が昔から心がけているのは、「流行を追わない」ということでした。これは、1991-94年までの最初の留学時にも非常に気をつけていたことです。これは、私の系譜の1つである江上不二夫さんの影響というのが大きいと思っています。

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人が面白いということや、今面白いことはやるな、自分で考えたテーマを面白くせよ。(江上不二夫、生化学者)

 

流行になっているテーマは誰かが重要にしたのであって、 誰かが重要にしてくれた舞台の上で、一見華やかな踊りをまって いても空しいことではないか。それは良い意味でアンビシャスな 若い研究者のすべきことではない。 (佐藤了、生化学者) 

 

流行を追わないことです。自分が正しいと思う道を進むことです。そして継続することです。そうすればそれが流行になります。 "流行を追わない"ということは、言うは易く行うは難しです。何をすればよいかということはどうすれば分るのでしょうか。それは一流を見ることです。一流の人に接すること、一流の人の下で働くこと、そのために広い世界を動くことです。(岸本忠三、免疫学者)

 

はやりを追うのは止めよう。(大隅良典、細胞生物学者)

 

若い研究者がやる必要があることは、私の考えるところ、どんな問題が解答されてないで残っているかを見つけ、自ら独自なアプローチを確立し始めること、そうすることで多分、10年か20年後に実りあるものになっていく。非常に多くの若い科学者がCellやNatureに出た面白い論文を見て、「それをやってみよう」と考えることは、決して、本当の意味で独創的なものにはならない。(竹市雅俊、発生・細胞生物学者)

 

我が国の科学研究についてであるが、「ぬり絵は得意だが、白紙に躍動 感ある絵を描くことは不得手である」と言えよう。 (野依良治、有機化学者)

 

独創的な研究は、だれも関心を示さないところから始まるものです。いまの日本人は、他人の成果の後追いばかりしているように感じます。

(石坂公成、免疫学者)

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今月(2018年7月)亡くなった石坂公成さんの言葉ですが、「流行を追わない」ということは、上にあるように日本で名を成した先生方が皆言っておられます。

 

ところが、不思議なことに、欧米人の研究者で似たようなことを言う人はあまり聞いたことがないのです。なぜなのでしょうか。流行を追わないことを当然と考えているのか。欧米の研究者は、流行をやって「勝ち抜ける」自信があるせいなのかもしれません。日本の場合、そういう流行追いや真似が深刻なので、敢えて繰り返し警告する必要があるのかもしれません。最近、科学研究の躍進が著しい中国などの研究者の大多数も、流行を追うことが中心になっているように見えます。

 

日本でも世界でも「流行を追う」ことが大好きな研究者も多いです。

 

流行を追わないためにはどうしたらよいのでしょうか。

 

1)流行りに惑わされない強い意志(変人と言われる覚悟の大切さ)

日本ですと、こういうアイテムが流行しているなどと、紹介されているものは、現実に流行っていて、街やテレビなどあちこちで見かけるということになる。そのうちに、それを真似した便乗ものがでてきたりします。ところが、米国にいると、あまり「流行り」の文化みたいなものはないような気がします。日本で「米国で流行している」などと紹介されているようなものが時々ありますが、米国では実は流行っていないというのが本当のところでしょう。つまり、米国の社会や文化というのは、極めて多様性が高いので、その多様性の中で「流行り」はかき消されたり、目立たなくなっているということなのだと思います。

 

こういうのは、学問の分野でもあると感じます。米国の場合、研究分野や研究者の層が厚く、多様性も高いため、流行というものも目立ちにくくなっている。

 

日本のような均一性を求め、多様性が理解されにくい場所ですと、流行があると、それに沿ってないと、仲間はずれにされたり、気分的にもよろしくないということがあるでしょう。その中で、流行を避けるためには、変わり者と言われながらも、惑わされない「強い意志」が必要だと思います。

 

また、何かやろうと思ったときには、即断せずに、よく考えてみるという態度も必要でしょう。「非常に多くの若い科学者がCellやNatureに出た面白い論文を見て、「それをやってみよう」と考えることは、決して、本当の意味で独創的なものにはならない。」ということなのです。

 

ただ科学の技術の中には、流行なのでやらないと完全に切り捨てることができないものがあることも事実だと思います。例えば、PCRやゲノム編集は流行なのでやらない、というのは何か失うものが大きすぎるような気がします。

 

2)好奇心、信念、論理性といった内在的なもの

流行を追わないために、常に原点を大切にする好奇心というのは大切ですが、しかし人間というのは、結構、気持ちが変わるものです。また、同じことばかり考えていても、飽きてしまう。そこで大切なのが、信念というものなのでしょうが、これとて信念に自信がなくなったりする。ましてや、身の回りに流行していて研究費が簡単に取れるとか、ポストが簡単に取れるとか、景気がよい分野があれば、隣の芝生は青く見えるという感じで気持ちが大きくぐらつきます。

 

そこで大切なのは、論理性(ロジック)ということでしょう。つまり、こういうことがあるので、こうである。という論理です。どうも、日本の評価を見ていると、この「論理性」をうまく評価していないのではないか、と思うのです。

 

例えば、RNAが酵素みたいな活性を示すということがあったとする。世の中の人は、そんなバカなことはないという見方をしたことでしょう。ところが、実験をして、それしか考えられないという論理がでてきたとすれば、それは強い信念になる。ここで世の中の人のそんなバカなことはないという批判に負けてはダメでしょう。この論理を冷静に議論し、評価していく態度がすごく大切だと思います。そして、大多数の人が感じる批判というのは、例えば研究費が取れない、ポストがないという形に反映されることになります。特に、日本ではこういうのが激しい印象を受けます。大隅良典さんのオートファジーにしても、論理的には評価できたはずなのに、その発表直後、科研費が取れなかったなんていうことも、こういうことで理解できるような気がします。

 

私が研究をサポートできるかというのは、流行やインパクトファクターではなくて、「論理を大切にする」ことだと思っています。これが結局は、科学という論理の評価なのですが、日本では軽薄なリーダー研究者が多数いて、流行やインパクトファクターというものに影響されているという印象を受けます。

 

3)流行を知っているから、流行をやらない

日本の研究者は、世界の情報から隔絶されている、あるいは勉強しないという理由で、「流行」を知ることがない。その結果、気づかないうちに、流行をやってしまうということがあります。流行を追わないということは、流行を知っているからこそ、それが可能になるという面があるということです。

 

次回は、私が良いと感じるサイエンスとはということで、もう少し具体的に説明してみたいと思います。