わがまま科学者日記

純粋に科学のお話をしたい。。

私の留学記(14)「日本」で成功したい若手研究者へのアドバイス

「日本」で成功したい若手研究者へのアドバイス
(本当は変わるべきだという皮肉と願いをこめて)
1 組織やヒエラルキーを重視し、自分の好奇心や自由奔放さを抑制するべきです。腰を低くして45度のお辞儀をするという気持ちが大切です。
 
2 コミュニティにうまく入り込み媚びて、育ててもらう研究者になること。そのこつは、時に自分の優秀さをさりげなく表に出し、ネガティブな態度を取らずに、いろいろな人をひたすらほめまくることです。
 
3 ニッチ分野やニッチな研究機関は競争も少なく野心的な人が少ないので有利になります(中には変な人もいる)。ただし、自分を正当化するのに苦しむことになりやすい。
 
4 だからといって、日本では、途中で分野を変えることは不利になることが多い(これについては機会を改めて議論します)。
 
5 神経科学や再生医学のような人気分野、組織は競争的・野心的で性格の悪い人が多い。その結果、メンタルをやられる可能性があります。こういう悪い分野にはこのことをよく理解して飛び込むこと。
 
世の中の学問にはいろいろあります。学問は厳しいものです。でも「ゆるい」感じのする学問とそうでない学問というのもあるのではないでしょうか。その業界にいる研究者の性格とか態度というのもまた異なるでしょう。例えば、医学の臨床系ですと、ヒポクラテスの誓いなのか、ジュネーブ宣言なのか、とても閉鎖的でヒエラルキーが厳しい。逆に、フラットでとてもフレンドリーな業界というのもあるのかもしれません。若い人が活躍しているIT関係などは、そういう業界かもしれません。学会に行けば、ネクタイと背広姿の研究者が45度、90度のお辞儀をする姿ばかりが目につく業界もあれば、ジーンズ姿で床に座っている人を多く見かける業界もあります。
 
一般的には、「競争が激しい」「野心的な人が多い」という分野ですと、人格に問題のある自己中心的な研究者が生き残る、あるいは育成されてしまうのかもしれません。こういう分野では、メンタルをやられてしまう若手(院生、ポスドク)も多いという印象を受けます。一般的には、例えばノーベル賞の受賞者が出やすい分野というのは、こういう分野である可能性が高いと思っています。もちろん例外もあるでしょう。
 
私が飛び込んだ「神経科学という業界」は、ヒエラルキー、権威やらに厳しい医学の臨床系、そしてノーベル賞受賞者が出やすい分野の両方を兼ね備えているというのは否定できない事実ではないでしょうか。おそらく、あらゆる学問分野の中で、もっとも危ない業界のひとつだと思います。「再生医学」それと関係した発生生物学みたいな分野もそうかもしれないです。それは洋の東西を問いません。
 

それでも、もう少し理学的に「楽しむ」という感じのする研究者もいるかもしれません。また、その逆に「神経科学という業界」の中でも、とりわけそういう要素を具現している研究者というのもいるわけです。

 
ヒエラルキー、権威性の強い分野ですと、研究者というのは、コミュニティによって「作られていく」ということが多いです。それに伴って「科学」そのものが作られていくということです。こういう作られていく研究者にひとたびなってしまえば、ポストや研究費は楽になるでしょう。米国でも例えばカール・ダイセロスさんとか、私から見ればコミュニティが作っているタイプの研究者だと思います。こういう研究者は日本国内でも多いです。もっとも日本の場合は、研究者は作られても、世界的にみると、科学まで作りあげる実力が日本の科学業界にはないということで、日本だけで有名で、世界的には無名な研究者が沢山いるという状態になっていると思います。
 

         f:id:dufay:20180811061305p:plainヒポクラテス

 
さて、1994年秋に岡崎の基礎生物学研究所の助手(現在の助教)として帰国したわけですが、その後、しばらくの活躍というのはエリート路線でした。まずはそういう時代のことを説明したいと思います。
 
第22回 FCCAセミナー「糖鎖生物学と糖鎖工学のインターフェイス」 [招待有り]
山形方人
1994年12月12日   
 
このセミナーは、留学する直前、1992年に「糖鎖工学」という本で私の書いたチャプターに感動したという先生が招待してくださったものでした。

糖鎖工学というより、糖鎖の生化学という感じだと思いますが、この分野というのは日本のレベルは世界的に極めて高かった分野と思います。こういう喩えがよいのかわかりませんが、分子生物学、核酸の生化学で言えば教科書の根幹にあたるような研究のほとんどが日本発の研究だった。こういうのも、ニッチ(隙間)的な分野だと思うのですが、世界の主流から外れていたために、そういう状態になっていた。しかし、生化学でも他所の分野の人というのはあまりそういう認識もない。少なくとも糖鎖の生化学では、ニッチ的、目立たない、という形で十分やっていけたわけです。ニッチ、目立たないことが大切にされることが、学問を深めるのに大切だと思うのですが、最近は、宣伝して目立って主流みたいなフリをしないと研究費が取れない時代になっているようで、危惧される傾向だと思います。
 
ただ一方で、こういうニッチ分野の研究者というのは、そういうことをやっているということを、自分で正当化していかないといけないという苦しみ、葛藤を感じることがしばしばあると思います。つまり、世の中の人は関心を持ってくれない、大切ではないと思われている。。だから、自分は面白いと感じる、とても大切だと自分に言い聞かせる、他人にもそう言い訳する。

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私の場合、こういう自己正当化、誤魔化しみたいな態度が気に入らなくなったわけです。そしてこの「糖鎖」という分野からは離れることになりました(でも知識はあるので、普通のタンパク質研究者とは違った視点を持っていることは確かです。そして再び糖鎖に出会うことになるのですが)。
 
人間というのは、やはり自分が面白いと思うこと、ワクワクすることをやろうとするわけです。
 
でも、日本に関する限り、好奇心を優先して自由奔放に面白いと思うことをどんどんやることより、組織とかヒエラルキーの中で自分の自由奔放さを抑制していた方がそれなりのレベルに達する可能性が高いという印象を受けます。分野を変えず、腰を低くして45度のお辞儀をし、上に媚びる研究者ほど無難に成功するでしょう。これと似たのが、敢えて地方などの地味なそこそこの研究機関に居座り続けるという生き方です。
 
自由奔放に面白いと思うことをどんどんやると、出過ぎた杭が打ち込まれるように潰されていくことが多いです。また競争の激しい先端的な研究機関ですと、その中でメンタルをやられて、完全に潰れていくことも多い。中には成功していく人もいるのでしょうが、実はほとんどが失敗していくのが現状だと思います。
 
大切なのは、成功した人というのは、実は非常に少ないので、そういう人の話ばかりを信じて聞いていると、失敗することになりやすいということだと思います。ロールモデルは常に成功者バイアスがかかっています。