わがまま科学者日記

純粋に科学のお話をしたい。。

私の留学記(9)研究の始まり

「流行になっているテーマは誰かが重要にしたのであって、 誰かが重要にしてくれた舞台の上で、一見華やかな踊りをまって いても空しいことではないか。それは良い意味でアンビシャスな 若い研究者のすべきことではない。」 (佐藤了、生化学者)
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大学院生でもポスドクでも、おそらくこういう研究者になりたいという目標とか、ロールモデルのような研究者というのはいるのではないだろうか。
 
ある人はノーベル賞を受賞したいという野心的な目標を持っているかもしれない。また、別の人は私立大学で学生でも相手にしてそれなりの尊敬を集めつつ、美味しい食事でも食べて、明るい家庭を築ければよいとするかもしれない。ただ、こういう目標というのは、常に変わるということもある。時には挫折し、時には望外の成功をし、欲もでたりするだろう。同じ目標をずっと持ち続けるということも、また珍しいし、回りも大きく変化していく時代のなかで、目標が替わっていくことについて非難されるべきではないと思う。
 
私の目標といえば、実のところ、そんなに高いものではなかったと思う。小さな研究を邪魔されずに、学生を教育しながら、静かに続けていくような環境が得られればそれでよし、と考えていた。教育にも大きな関心があった。そんな夢が実現できるところといえば、例えば地方の国立大学か、旧帝大のラボか、そんなところか、と考えていたものだ。従って、そういう場所に適した研究をやろうとしたのだった。当時は、そういうささやかな夢を持つようなことが、普通であったと思う。(もちろん、昨今は、日本の大学や科学研究政策の影響で、とても困難になっているのも事実であろうが。)
 
そのために注意を払ったのが、研究費が少なくても、長くやっていけるような研究を始めるということだった。そのために行ったのが、実験「系」の確立ということだった。ニワトリの網膜視蓋系の層特異的シナプス形成という問題設定である。これらは、Development2報とJ. Neurosci  1報にまとめた。内容の詳細についてはふれない(この本(2002年)がまだ図書館などにあれば、まとめてある)。
 
1990年中頃は、大隅良典さんが、ノーベル賞につながる研究をJ Cell Biolなどに発表して、科研費が取れなくても、研究がそれなりにつながることができた時代だったのである。今のようにいわゆる3大誌に論文を出さないと日本国内にポストがない、出してもポストが見つからないという変な時代ではなかったし、学術界は現在より、もっと健全であったと思う。昨今、目立たないがオリジナリティの高い着実な研究より、中身が薄っぺらでも目立つ研究、世の中での有用性が最優先されるような研究が重視される風潮が広まってしまったのはまことに残念である。
 
さて、私のやった研究は、神経発生、特に神経回路形成の分野では長らく最もよく引用される総説であったTessier-LavigneとGoodmanの総説でも図付きで紹介されている(左図)。この総説は、神経発生を学んだ人なら誰でも目にしたことがあるだろう右図も掲載されている。
 
Tessier-Lavigne M, Goodman CS(1996)
The molecular biology of axon guidance. Science 274:1123-1133.
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(上記の総説論文より、無許可で掲載)
 
さて、一応、目標であった自分なりの実験系が確立できたので、それを続けるために、日本でポストを探そうということになった。留学して2年ほどしてからである。3年間の研究期間で、筆頭著者論文は、合計5報であった。