わがまま科学者日記

純粋に科学のお話をしたい。。

私の留学記(13)テーマの始まり

前回に続いて、これから始まる物語の「伏線」です。留学記そのものとはあまり関係なくなってしまうのですが、研究テーマというのはどうやって始まるのが理想なのでしょうか?

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物事の真の意義はいつも明白とは限らない。事実の発見だけではな い。 新しい価値を見いだすことこそ、創造性の源となる。問題は解くより見つける方が格段に難しい。(野依良治)

 

一人の科学者の一生の研究時間なんてごく限られている。研究テーマなんてごまんとある。ちょっと面白いなという程度でテーマを選んでたら、本当に大切なことをやるひまがないうちに一生が終ってしまうんですよ。だから、自分はこれが本当に重要なことだと思う、これなら一生続けても悔いはないと思うことが見つかるまで研究をはじめるなといってるんです。科学者にとって一番大切なのは、何をやるかです。(利根川進)

 

「自分の眼で確かめよう」

「小さな発見を大切にしよう」

「様々な面からじっくり考えよう」(大隅良典)

 

研究者の醍醐味とは、私にとっては誰も見向きもしない岩からのわき水を見つけ、やがてその水を次第に太くし、小川からや がて大河にまで育てることである。また、山奥に道なき道を分け入り、初めて丸木橋を架けることが私にとっての喜びであり、丸 木橋を鉄筋コンクリートの橋にすることではない。多くの人がそこに群がってくる時は、丸木橋ではなく、既に鉄筋コンクリート の橋になっており、その向こうにある金鉱石の残りをめがけて多くの人が群がっているのである。(本庶佑

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問題は解くより見つける方が格段に難しい。」

 

「これなら一生続けても悔いはないと思うことが見つかるまで研究をはじめるな。」

 

「小さな発見を大切にしよう」

 

「山奥に道なき道を分け入り、初めて丸木橋を架けることが私にとっての喜びであり、丸木橋を鉄筋コンクリートの橋にすることではない。」

 

結局ここであると思うのです。でも、多くの研究者は、問題を解くことばかりに目がいく。そして、他人から与えられたようなテーマを拾ったり、流行に走ったり、どこにでもありそうな陳腐なテーマをやってしまうわけです。

 

でも、人間の考えるテーマというのはやはり限られていて、考えすぎると、陳腐なテーマになってしまうものです。利根川さんの研究は、有名で、研究費もふんだんにあって、とても精力的ですが、テーマとしては王道的で陳腐だと私は感じます。セレンディピティは予想できません。でも、かつて、パスツールが言ったように、準備された心にやってくるのだと思います。ですから凡人で研究費もなければ、「小さな発見を大切にしよう」というのが現実的なところなのだと思います。

 

さて、上に挙げた言葉は、おそらく日本で最も有名な研究者だと思うのですが、私の場合、間接的にあるいは直接的に、このような研究者を身近に感じることができたというのは、前回紹介した岸本先生の「一流の人に接すること」ということに通じるものがあります。このような体験を日本の教育機関で伝えて、後進の育成に活用することができなかったのが、とても残念です。。

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私が、1990年代に好きだったのは、こんな論文でした。おそらく、大隅良典さんの初期のJCB論文にも通じるものがあるはずです。

 

1つは、竹市先生の1977年のJCB論文です。細胞接着をカルシウム依存性のもの(後のカドヘリン)とカルシウム非依存性のものに分類することができたという簡素な論文です。そこでは分子を予言していますが、その分子実体そのものはでてきません。


そして、ずっとお世話になり続けているSanes博士の1977年の論文。これは、筋肉組織の中身を除いて、殻のようにした時、もともと神経筋シナプスがあった場所に再生してきた神経がシナプス様の構造を作るという論文です。ここでも、何らかの分子の存在を予言していますが、その分子実体そのものはでてきません(この研究のその後については別の機会に説明したいです)。


実は、私が最初の留学で発表した論文2つは、そんなものでした。これらの研究をやった時には、上の2つの論文が常に頭にあったのでした。

おそらく、この研究を続けていたら、それなりの展開になったとは思うのですが、それができませんでした(これが今後の物語の1つになっていきます)。今でも、やってみたいと思っているのですが、最近はこういう「発生」みたいな研究ではポストも研究費もないでしょう。

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「カンデル神経科学」(第4版、第5版)より。

 

一方、私がやらないと感じるテーマもあります。海馬、記憶、Decision Makingみたいな再現性も疑わしい神経科学、美的だがブレークスルーを感じないバイオイメージング、誰でもできる遺伝子発現の調査などでしょうか。海馬とかは、実験系として独自性を感じないです。私は現在は網膜をやっていますが(やらざるをえない)、これも陳腐な材料なので好きではないです。研究しても、多くの研究の中に埋もれてしまっていくという感じが好きではない。こういう「やらない」という感覚も大切なのではないでしょうか。そういうのをやっているというだけで独創性がないのではないか、とさえ感じてしまいます。そして、私自身は、化学科出身なので、基本的に統計の有意性でしか語れないような学問は体質的に合わないです(化学では、物質の構造や反応を、生物医学でよく使うp値を使ったような統計で議論するようなことはしないです)。

 

このような感覚というのは、やはり学生時代の教育背景が、ずっと影響するということなのかもしれません。それが研究者の個性でしょうし、違う分野に新しい考えを持ち込むということなのかもしれません。