わがまま科学者日記

純粋に科学のお話をしたい。。

科学者の人生(1)国境と世界史

Si la science n'a pas de patrie, l'homme de science doit en avoir une.. 

「科学には国境はないが、科学者には祖国がある」パスツール

ワルシャワに戻ったショパンの心臓の近くで演奏されるショパン国際ピアノコンクールをネットで聴きながら、この文章を書いている。それぞれの才能ある若い個性的なピアニストの演奏が素晴らしく、最近は私が科学論文を見る目も同じようになってきた。そして、マズルカを聴くのと同じように、涙なくして科学論文を見ることができないということだ。今回から数回に渡って最近の私の心境を書いてみたいと思う。

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日本の科学研究者の大部分は、日本の中で生きている。しかし、世界では多くの科学研究者が世界史の中で生きて、研究してきたのも事実である。ところが、日本の科学研究者の多くは、世界史の中での人生という実体験が薄いような気がする。例えば、「日本に職がないのなら中国でポストを探せばよい」と、こういうことを気軽にいう人が結構いたりするのだ。

 

エリック・カンデルさんというと有名な神経科学者である。簡単にその前半生を振り返ってみよう。 Eric Kandel - Wikipedia(以下、Google翻訳を利用した)

エリック・カンデルは、1929年11月7日にウィーンで生まれた。ほどなくして、エリックの父親はおもちゃ屋を設立した。しかし、徹底的に同化して文化的に馴染んだものの、1938年3月にオーストリアがドイツに併合された後、彼らはオーストリアを離れた。アーリア化の結果、ユダヤ人への攻撃がエスカレートし、ユダヤ人の財産が没収されていたのである。エリックが9歳のとき、弟のルートヴィヒ(14歳)と一緒にベルギーのアントワープでゲロルシュタイン号に乗り込み、1939年5月11日にブルックリンで叔父と合流し、その後、両親が後を追った。アメリカに到着し、ブルックリンに定住したカンデルは、祖父からユダヤ教の手ほどきを受け、Yeshiva of Flatbushに入学し、1944年に卒業した。彼はニューヨーク市の学校制度であるブルックリンのエラスムス・ホール高校に通った。

 

カンデルのハーバード大学での学部の専攻は歴史と文学だった。学部での優等論文は「3人のドイツ人作家の国家社会主義への態度」というものだった。カール・ズックマイヤー、ハンス・カロッサ、エルンスト・ユンガーの国家社会主義に対する態度」というテーマで学部の優等生論文を書いた。B.F.スキナーを中心とした心理学が盛んだったハーバード大学で、カンデルは学習や記憶に興味を持つようになる。(中略)1952年、カンデルはニューヨーク大学医学部に入学した。1952年にニューヨーク大学医学部に入学し、卒業までに心の生物学的基盤に強い関心を持つようになった。。。

1938年3月にオーストリアがドイツに併合された後、オーストリアを離れ、米国のニューヨークに移住した。世界史の教科書には、ナチスによるオーストリア併合は数行の記述として簡単に書かれているが、こういったことには科学者も含めて多くの人の人生が同時にあるということを忘れてはならない。ところが、どうも、日本人の多くはこの実感に乏しいのではないかと思うのだ。

 

米国に長く住むとわかるのだが、移民国家の米国人はこの数百年の間にほとんどすべての人がこういう歴史の結果を身近なところで自らに持っている。これは当たり前のことであるのだが、日本ではこういうことを自分のこととして深く受け止めることができない科学研究者や事務関係者がほとんどではないか。

 

カンデルさんの場合は、ナチスの台頭という世界史の中で人生が変わった。そして、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で人生が変わった科学研究者も多いはずである。私もそのうちの1人だ。

 

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